東村山の由来や、歩んできた歴史をご紹介します

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歴史探訪

東京都東村山市歴史探訪
東村山市の概要
東村山市は、東京都内にあり、武蔵野台地のほぼ中央に位置しています。北に埼玉県と接しており、周囲は東大和市・小平市・東久留米市・清瀬市と隣接しています。江戸時代から、伊豆殿堀とも呼ばれる野火止用水や狭山丘陵から流れ出している空堀川から水利を得て、畑作が盛んな地域でした。現在は、ベッドタウン化が進み、人口は増加傾向にあります。

東村山のあゆみ
東村山に初めて人が足を踏み入れたのは、今から1万数千年前の旧石器時代です。縄文時代には水の得られる狭山丘陵地帯の麓や、前川・北川(後川)・柳瀬川の沿岸で生活しており、その一帯に多くの遺跡が残されています。

奈良・平安時代になると、住民はわずかな水田と小規模な畑によって、現在の多摩湖・廻田・諏訪・野口・久米川・秋津町などで生活を営んでいたようです。7世紀から8世紀(大化〜大宝年間)には、武蔵国府中(府中市)に国府が置かれ、東村山市域を南北に貫いて、上野国と武蔵国を結ぶ官道「東山道」が通じていました。

鎌倉時代になると、「いざ鎌倉」への道として各地の道路が整備され、鎌倉街道の「上ツ道」が東村山地域を貫き、久米川は宿駅として、軍事的・経済的にも重視されました。

天正18年(1590年)、徳川家康の江戸入りに伴い、柳瀬川・前川・北川沿いの村々は、南の原野が開拓されたことにより、発展していきました。また、承応3年(1654年)には玉川上水が、翌年には野火止用水が開削され、新田開発が進みました。東村山地域は近世を通じて山口領に属し、幕府直轄の天領や地頭領、寺領となりました。
19世紀初頭から、多摩郡に属した南秋津村、久米川村、野口村、廻り田村、宅部村、そして入間郡に属した大岱(おんた)村とで、江戸近郊の農村として幕末を迎えます。

明治維新後、地方支配制度は流動し、東村山市域は韮山県、品川県などを転々として、明治5年(1872年)に、南秋津・久米川・野口・廻り田村は神奈川県に、明治13年(1880年)に、埼玉県に属していた大岱村も神奈川県に移りました。そして明治17年(1884年)に野口・廻り田・久米川・大岱の4ヶ村組合が誕生しました。これが現在の東村山市の母体になっています。

その後、昭和17年(1942年)に町制を施行、昭和39年(1964年)には、人口66,012人の「東村山市」が誕生しました。現在では、ベッドタウン化が進み、人口約14万人が住む近郊住宅都市として「緑あふれ くらし輝く都市」を目指しています。


東村山の名前の由来
「東村山」という地名は、方位説によるとされています。明治22年(1889年)に町村制度が施行されたとき、一説には、下村山とする話もありましたが、この辺り一帯(村山地方)の東ということから「東村山」とする案が通り、東村山村が誕生しました。


東村山の歴史についてもっと詳しく知りたい人はこちら↓
東村山ふるさと歴史館
住所: 東村山市諏訪町1-6-3 [地図を見る]
電話番号: 042-396-3800
開館時間: 9:30〜17:00(入館は16:30まで)
休館日: 毎週月曜日、年末年始(12月27日〜1月5日)
入館料: 無料







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